(1)
愛知県渥美半島のほぼ真ん中近く、表浜に近く戦前は半農半漁の家がほとんど。町へ出るにも自転車をキコキコ漕いでゆうに30分はかかる片田舎。愛子は貧しい農家の長女として生まれた。麦の穂がすくすくと伸びる5月のことだった。 父は「誰からも愛される子になるように」と、愛子と名づけた。母の乳の出が悪かったので番(つがい)のヤギを飼った。ヤギはまもなく2頭の赤ちゃんを産み、乳が一杯出た。おかげで愛子はすくすくと育った。 愛子の母は農作業が忙しい上、乳があまり出なかったので愛子を抱くことがあまり出来なかった。代わりに、愛子の祖母が一日愛子の世話をした。3年目の春から、両親と一緒に野良へ出るようになった。野良に出ると言っても、仕事の邪魔にならないように道端から母の姿を追う毎日だった。 道端には白詰草が一杯生えていて、その上に寝そべると柔らかな草の匂いがとても気持ちよかった。畑は家の近くにあったが、田んぼは水の便のよい低地にあった為、愛子の家からは少し歩かねばならなかった。幼い愛子には少し遠い距離だった。 愛子は一日母の後姿を見ているだけで満ち足りていたが、母は愛子が寂しくないようにと、白詰草の花を編んで手に巻いてくれた。愛子はとてもうれしくて、大事にそれを巻いていた。日が暮れて家に帰る頃には疲れて草の上で眠ってしまい、母に負ぶさって家に帰った。 家に帰ると、少し病気がちになった婆ちゃんがやさしく迎えてくれた。愛子は腕に巻いた白詰草の花の腕輪を自慢そうに見せた。「あのねえ、これ、お母さんが作ってくれたの」屈託のない笑顔だった。 4歳になった愛子は相変わらず父母について田畑に行った。この頃には一人で遊べるようになり、田んぼではおたまじゃくしを追いかけて泥んこになっていた。畑ではキャベツのアオムシに驚き、チョウチョを追いかけるようになった。母が、「白詰草の葉っぱが4枚あるのを見つけると幸せになれるよ」と教えると、一日中探し回る子だった。 四葉のクローバーはなかなか見つからなかった。ひとしきり探し回ると、今度は白い花を一杯摘んだ。お昼は父母と一緒に草の上に車座になってお弁当を食べた。食べながら母に摘んできた花で腕輪をおねだりした。 母は腕輪を編みながらこう言った。「白詰草で作った花の首飾りを大好きな人にあげると、とても幸せになれるのよ。首飾りが作れるくらい一杯摘んできてね」 横で聞いていた父は少し照れた顔をしていた。愛子は幸せだった。もっと一杯白詰草の花を摘もうと思った。 (2) 愛子の家は県道の近くにあるが、この辺りの何処の家でもそうであるように、海の近くに元屋敷があった。 元屋敷は祖父の代まで使われていて、庭には雨水を貯めるタタキ(貯水槽)があった。半島の表浜側は標高が高くて井戸を掘ってもなかなか水脈に当たらなかった。祖父の代はホウベ(方部)下の崖から湧き出る水を汲んで、桶に2杯天秤棒で担いでホウベの坂道を上がった。 標高にして50~60m、大変な労働であった。嫁殺しと言われ、年をとった女は大概腰が曲がっていた。 愛子の婆も例外に漏れず、腰が曲がっていた。腰が曲がっていたから目線は小さかった愛子とあまり変わらなかった。 愛子は時々婆に連れられて元屋敷に行った。婆は屋敷が朽ち果てるのが忍びなくて、時々空気の入れ替えに行っていたのだった。 タタキは使われなくなって、枯れ枝などが水面に浮かんでいた。その枯れ枝にショックウ(食用蛙)がしがみついているのがよく見られた。ショックウはモー!モー!と鳴くのでウシガエルと呼ばれた。 愛子が身を乗り出してタタキの中を覗くので、落ちやしないかと心配になった婆は、愛子の父にタタキに蓋をするように言った。しばらくして、タタキには木枠の蓋がかけられ、中を覗くことは出来なくなった。 5歳の春、愛子は保育園に行くようになった。この年、小学校の前にある駐在所に新しい家族が赴任してきた。駐在さん一家には愛子より一つ上の男の子がいた。名前を友一と言った。赴任してくる前は東栄町の山の中の寒村にいた。 友一はそこで生まれ育ったので、海の近くの村に来たことで何もかもが目新しく映った。 駐在所の裏に愛子の家があったので、愛子と友一が親しくなるのに時間は掛からなかった。 保育園は愛子の家から5分も掛からないほど近くにあったが、小学校の前を通らなくてはならなかった。年上の男の子が愛子には怖かった。それで、一つ年上の友一が愛子を保育園まで連れて行った。 保育園から帰ると、友一は出来たばかりの友達と山へ遊びに行った。 木の間を駆け巡ったり、木の枝で作った木刀でちゃんばらごっこをして遊ぶのが日課だった。 友一の仲間には小学校の子も居たようだが、愛子はその仲間に入れてもらえなかった。。 友一は遊び疲れると帰ってきて愛子の相手をした。遊ぶのは大概愛子の家の縁側だった。縁側でオハジキやお手玉をした。暗くなると雄一の家のほうから「ゆういち~」と呼ぶ声がした。友一は呼ばれるとすぐに帰って行った。 夏が来て、二人は愛子の婆に頼んで浜まで連れて行ってもらった。腰が曲がった婆には歩くのがたいそうな労働だったが、子供らのうれしそうな顔を見ると足が自然に速くなった。 浜では時々地引網が引かれていた。半農半漁だった祖父の代の名残だったが、小屋では水揚げされたイワシなどをハソリと呼ばれる大きな釜で茹で上げられ、小屋の周りの広げられたスノコの上で天日干しにされた。 生乾きの煮干は適度の塩味で美味しかった。つまみ食いをしても誰も叱らなかった。 小屋の前の海で二人は裸になって水浴びをした。この辺りの海は、ウドと呼ばれる沖に払い出す流れがとても速いので、大人でも泳ぐのは危険と言われた。 婆はいつも二人に「腰より深い所に入ってはいけない」と言って聞かせた。まだ泳げなかった愛子がそこまで深いところに行くことはなかったが、山育ちの友一は川泳ぎが得意だったのでいつも沖に出たがった。 事件は夏の終わりに起きた・・・ (3) 友一が引っ越してきてから初めて食べたものの中にナガラミがある。ナガラミは表浜の瀬の辺りで獲れるので近所のお店でよく売られていた。 友一の母は時々これを買ってきて、塩茹でにした。爪楊枝で器用に貝から剥き出すのである。 ナガラミは砂底に潜っているので身の間に砂が付いている事が多いが、剥き身を茹で汁で濯ぐと簡単に砂は落ち、茹で汁の程よい塩味がナガラミの淡白な味とあいまってなかなか美味しかった。友一の家ではこれをわけぎと酢味噌で和えたヌタが定番であったが、友一はお腹は空くと茹で上がったナガラミをつまみ食いをするのが好きだった。 その日も愛子と友一は婆ちゃんに連れられて表浜に行った。浜では地引網を沖に沈めてきた舟が引き上げられ、その脇で大人たちが二手に分かれて網を引いていた。中に駆り出された子供たちもロープにぶら下がるような格好になりながら網を引くのを手伝っていた。 小さい愛子と友一も中に入って網を引くのを手伝った。網に入った獲物は煮干にするイワシ以外はてんでに持ち帰っても大目に見ている。大人たちの目当てはアジやメッキなどその日の夕餉のおかずになりそうな魚だった。 大人たちは我先にと拾っていく。手伝いをしても、小さな子供たちにおこぼれがあることは滅多になかった。 地引網が引き上げられ、大人たちが籠を持って網の周りに群がった。愛子と友一ははじき出されたように大人たちの外で様子を見ていたが、やがて婆ちゃんに促されて網から離れた。 大潮の日だった。浜は潮がずいぶん引いていた。沖に瀬ができ、瀬の手前は子供の背丈ほどの流れが出来ていた。瀬まで行けば子供でも何とか立っていられそうな波だった。 瀬から帰ってきた中学生のあんちゃんが握っていた手を開いて見せてくれた。手には数粒のナガラミが握られていた。ナガラミは瀬まで行けば素手で獲れるのだと言う。友一は目を見張った。 婆ちゃんは地引網から獲物をせしめてきた近所のおばさんからアジを数匹分けてもらい、その場に座り込んで世間話を始めていた。 ナガラミを獲って来たあんちゃんは、地引網にまだ獲物が残っていないかと見に行ってしまった。 友一はしばらく沖の瀬と目の前の潮の流れを交互に見ていた。山間の東栄町で育ち、大千瀬川の流れの中で泳ぎを覚えた友一には泳いで渡れそうな流れに見えた。瀬は友一のところから50mも向こうに出来ていたが、深い流れのところはずっと岸よりで、そこさえ越えたら歩いていけそうだった。 決心して友一は足を一歩踏み出した。愛子が何か言ったが聞こえなかった。 胸の辺りまで水が来ると、思い切って抜き手で泳ぎだした。まっすぐには泳げなかったが不安はなかった。少し下流に流されながらも、なんとか足が立つところまで泳ぎきった。振り返ると愛子の姿がすごく遠くに見え、初めて不安になった。 それでも勇気を出してナガラミを探し始めた。つま先を砂に突きたて、ぐりぐり砂を掻き分けると案外簡単にナガラミが獲れた。夢中になって探し続けた。手には数粒のナガラミが握り締められていた。 不意に大きな波が友一を襲った。波は友一を一気に砂浜の方に押しやり、横に流れる深みまで運んだ。こうなると生半可な泳力ではどうしようもなかった。どんどん横に流され、やがて沖に払い出すウドまで流された。 愛子の絶叫に婆と近所のおばさんが気づいた時、友一はウドに沖へさらわれそうになっていた。腰の曲がった婆にはどうすることも出来なかった。おばさんが網を片付け始めていた漁師の所に走っていって異変を伝えた。 ウドの恐ろしさは誰でも知っているので、泳いで友一を助けに行く人は居なかった。代わりに、地引網に使われた舟が出され、すぐに友一の後を追いかけた。舟には数人の大人が乗り込み、友一の姿を見失わないように追いかけた。 友一は沖合いに200mほども流されたところで助けられた。泳ぎが出来たのが幸いだった。少し潮水を飲んだが、手にはしっかりナガラミが握り締められていた。 舟が友一を助けて戻ってくると、婆ちゃんは涙を流して友一を迎えた。家に帰ると、真っ先に友一の家に誤りに行った。友一の母は「うちの子が悪いんだから気にしないで良いですよ」と言ってくれた。それでも、「悪い事をした。悪い事をした」としきりにつぶやいていた。 その日から婆ちゃんの体調が思わしくなくなり、布団から出てこないことが多くなった。 夏休みが終わり、保育園にまた行くようになった。友一は相変わらず愛子を迎えに来て、一緒に保育園まで行ってくれた。 午後、サン=サーンスの動物の謝肉祭を聞きながら昼寝するのが保育園の毎日だった。昼寝中の愛子を友一の母が神妙な顔をして迎えに来た。 家に帰ると、近所のおばさんたちが忙しそうに働いていた。いつもは雑然としていた座敷が綺麗に片付けられ、真ん中に婆ちゃんが寝かされていた。横に泣き腫らした父が座っていた。 「ばあちゃん?」耳元で呼んでも応えはなかった。 (4) 初めて人の死と言うものに立ち会った愛子だったが、死がどういうものか理解できなかった。それは息を引き取る瞬間でないとわかり辛い物かもしれない。 婆が亡くなって2年が過ぎた。友一は8歳、愛子は7歳になっていた。婆ちゃんの死後、愛子と友一はさすがに海には行かなくなっていた。自然と遊ぶのは家の近くが中心になった。元屋敷に行くと、2年が過ぎても、なぜか婆ちゃんがその辺りを歩いているような気がした。父が蓋をしたタタキの上に柿が熟して垂れ下がっていた。 愛子の背丈では届きそうになかった。友一が気を利かせてタタキの蓋の上に載って熟した柿を取ってくれた。タタキの上から飛び降りると、友一はポケットからナイフを取り出し、8歳にしては器用に柿の皮をむいてくれた。二人はタタキにもたれ掛かって少し硬い柿に歯を立てた。柿は筆柿の一種だがまだへたに近い方に少し渋が残っていた。 「あのさあ・・・」急に真顔になって、愛子の顔を覗き込むように友一は言った。 「愛子は、大きくなったら何になる?」 生まれ育ったこの村から一歩も出たことのなかった愛子には、「大きくなったら?」などと考えたこともなかった。夢を持つにはあまりにも世間を知らな過ぎた。 「かぐや姫・・・」絵本でしか見たことのない夢であった。 「俺さあ、大きくなったら、野口英世みたいな偉い医者になるんだあ・・・」 友一は、昨夜、母からもらった野口英世の物語を読んですっかり感化されてしまったようだ。「偉くなって、アフリカに行き、世界中の病気の人たちを救う研究をするんだ。」 野口英世も、アフリカも小学校1年になったばかりの愛子には分からなかった。なんだか友一が知らない世界に行ってしまいそうで、急に悲しくなった。 得意げに話していた友一だが、愛子の顔の変化を見逃さなかった。 「どうした?」 「だって・・・ゆうちゃん、どっか遠くに行ってしまうみたいだもん」 うつむいた愛子の目から涙がこぼれた。友一は愛子がなぜ泣き出したのか分からずに途方にくれた。やがて何を思ったか、ナイフでタタキの蓋になにやら刻み始めた。 「友一・愛子」相々傘を象って傘の下に二人の名を刻み込んだ。 「帰ろう!」はにかんで友一は駆け出した。 翌年の春、友一一家は田原の警察署へ転勤になった。この村に転勤してきてわずか3年だった。駐在に勤務する巡査ではきわめて異例だったが、友一の父が昇級試験に受かったための処置だった。巡査長になっての転勤だから大栄転の部類だろう。 「遠くに行っちゃう訳じゃないから、時々遊びに来るよ」と友一は言った。田原の町まで5kmちょっとである。自転車に乗り始めた友一なら何とかやって来れそうな距離だった。 それでも、小学校3年の友一には遠い距離だった。 別れの朝、愛子の姿は何処にもなかった。家財道具一式をトラックに積み込み、「それじゃ、いつまでもお達者で!」と、エンジンにキーが入ったとき、やっと愛子が帰ってきた。 「ゆうちゃん、これ!」愛子が差し出した手には白詰草の花の首飾りが握られていた。 3月末とはいえ、まだ白詰草の花を探すのは容易ではなかったはずだ。愛子の気持ちが友一にはうれしかった。「絶対、忘れないよ」 遠くなるトラックを見送りながら、愛子のほほを熱い涙が伝わった。涙はいつまでも涸れることがなかった。 愛子の家の暮らしは相変わらず貧しかった。芋や麦を作ってもあまり収益は上がらなかったのだ。愛子が小学校に上がった春、父は本屋敷に有った納屋を改造して豚を飼い出した。 豚はたくさん子を産み、その子を大きく育てて売ると良い値になった。豚の餌やりは愛子の仕事になった。毎日餌をやっていると、豚の意地悪そうな白い目も可愛らしく思えるようになってきた。 いつもより暑い夏だった。餌やりに疲れた愛子は、木陰で涼みながらいつしか寝てしまった。何処からともなく飛んできた蚊が愛子の汗の引いた腕に止まった。 赤い蚊だった・・・ (5) 蚊に刺されて数日たった。刺された後がいつまでも赤く腫れているので、「ブヨかダニに刺されたんだろう」と、愛子の母は思った。 それにしても、ブヨが刺したならもっと激しい痛みがあるはずである。愛子は時々刺された後を掻いているようだが、別段痛がったりはしなかった。 1週間が過ぎた。蚊に刺されたことなどすっかり忘れた時になって、愛子は突然の頭痛と発熱におそわれた。腹痛も訴え、激しい下痢ももよおした。 母は不安になって町の医者を呼んだ。医者はすぐに黒い鞄に持てるだけの医療器具を詰め込んで、看護婦をともなって往診にやってきた。 愛子が問診に答えられる状態ではなかったので母が代わりに答えた。一通りの診察を終えると、医者はこう言った。「難しい病気かもしれないので、大きな病院で精密検査を受けた方がいいですね」 はっきり言わなかったが、医者にはある疑いが心の中に蠢いていた。それは、毎年医師会から夏に回ってくる感染症に対する所見と治療についてだった。 日本脳炎 感染者の1/3~1/2は死亡すると言われ、死亡を免れても半数近くは重篤な後遺症を残すと言われる日本脳炎。 精密検査をする器具も施設も持たない街医者には、所見だけで日本脳炎と断定は出来なかった。渥美病院へ紹介状を書くと「とにかく、氷嚢で熱を下げてください」と医者は肩を落として帰っていった。 翌日、愛子は渥美病院へ連れて行かれ、そのまま緊急入院した。直ちに髄液が取られ、抗体検査が行われた。ダニ脳炎も疑われたが、検査結果は日本脳炎であった。日本脳炎とわかっても、抗ウィルス剤はなかった。それは医療の発達した現在でも変わっていない。 治療は感染の進行とともに現れる発熱、脳浮腫、痙攣、呼吸障害に対する対症療法と合併症の予防だけであった。主治医は愛子の両親に最悪の事態を通告した。残酷な通告だった。 翌日、愛子の村に保健所の者がやってきて、蚊の発生しそうな水溜りなど軒並みに消毒していった。また、飼われているブタが念入りに調べられ、愛子の家のブタにウィルス感染の疑いがあるとして1頭連れて行かれた。 保健所の人が来たことによって、愛子の病気が只ならないものだと知れ渡った。友一の父の後に赴任してきた駐在が「近所づきあいもあったろう」と気を利かせて、ことの仔細を友一の父に知らせてきた。友一は話を聞くとすぐに病院へ見舞いに行った。まさかこんな形で再会するとは夢にも思っていなかった。 しかし、生死の狭間をさまよっている愛子に面会は許されなかった。友一の姿を見つけて愛子の母が憔悴しきった顔で友一に礼を言った。「いつも仲良くしてくれてありがとうね・・・」その先の言葉は出なかった。付き添いで病院に泊り込んでいた愛子の母はずいぶんやつれていた。友一は真っ赤に泣きはらして家に帰った。帰って母に抱きつくと男泣きに泣いた。涙はいつまでたっても涸れなかった。 命を取り留めたことが必ずしも幸運とは言えない。重度の脳障害を残して愛子は退院した。 障害を残したが、体は普通の子と同じように成長した。小奇麗にしてやれば誰もがハッと振り返るような美貌を持ちながら、愛子の母にはそれをしてやれる余裕がなかった。 小学校も中学校も行かずに大人になった。ぼさぼさのおかっぱ頭にぼろの着物をまとい、いつも鼻の下に親指の先をあてがってニヤニヤしながら辺りをふらついていた。 愛子は悪がきたちのいたずらの格好の標的になった。 時は更に流れ、愛子が障害を負ってから10年が過ぎた。友一は医者になるために東京の大学へ行った。 ある日、ふらふらと愛子は元屋敷にやってきた。あれ以来、元屋敷はすっかり荒れ果てていた。タタキの木の蓋も腐って、あちこちに穴が見えた。タタキの上にはあの人同じように柿が実っていた。愛子は引き寄せられるようにタタキの縁までやってきた。 朽ちた木の蓋にあの日友一がナイフで彫った「友一・愛子」の文字がかすかに見えた。不意に愛子の目から涙があふれた。障害を負って以来、流したことのない涙だった。胸にこみ上げる不思議な感覚だった。 やがて愛子はタタキの縁によじ登り、今は楽に手に取れる柿を取ろうと手を差し伸べた。 朽ちた木の蓋は愛子の重みに耐えられなかった。愛子はタタキの中の水に沈んだ。享年23歳だった。 作者より cururuからどうしてもこれだけは引っ越しておきたかった物語です。すでにあちらで読まれている方はスルーして下さいね #
by shio622
| 2009-05-15 21:59
げてものだなんて・・・
やん♪(/.\*)(*/.ヽ)やん♪ 正確には げんてい物(´゚艸゚)∴ブッ どうもね こう言うのを見るとついふらっと買っちまう 上のは日曜日のだけど 季節外れ?の肌寒い風がひゅーひゅーの今日はこんなの メロンの果肉も入ってうまうま~ #
by shio622
| 2009-05-14 21:41
| 何気ない日常
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